【浅草①046】浅草高原町

町番号:浅草①046

町名:浅草高原町

読み方:あさくさたかはらちょう Asakusa-Takaharachō

区分:町丁

起立:1869(明治2)年

廃止:1934(昭和9)年

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「浅草」

現町名:台東区寿二丁目

概要:前身は浅草高原屋敷。東本願寺の門前の通り(通称・門跡前)を東へ行った南角で、もとは原地。1653(承応2)年、茶碗商人高原伊十郎の先祖平兵衛が「表間口京間四十五間四尺五寸、裏行東の方十八間、西の方九間一尺五寸」774坪2合5勺を町屋敷として拝領した。地2間半に5間半程の御茶碗焼物釜場があったが、1786(天明6)年の出水の際、破却して以来上方表で製作するようになり、その跡が残っていた。町内は「東西南の方にて四十三間余、北の方にて四十八間、南北東の方にて二十二間余、西の方にて十間半」(備考)。化政期(1804~1830年)の家数33軒(町方書上)。

前身の浅草高原屋敷として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年に「浅草高原町」となる。1872(明治5)年の戸数42・人口215(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府浅草区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市浅草区に所属。

1934(昭和9)年、帝都復興計画の一環により、寿町三丁目に編入となり消滅。現行の寿二丁目。

撮影場所:浅草高原町

撮影地:台東区寿二丁目10番13号(田原町シティビル 朝日信用金庫ことぶき支店 寿四丁目交差点)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。