【本所①022】本所茅場町
町番号:本所①022
町名:本所茅場町 一~三丁目
読み方:ほんじょかやばちょう Honjo-Kayabachō
区分:町丁
起立:1657(明暦3)年の大火後
廃止:1684(貞享元)年
復活:1693(元禄6)年
廃止:1933(昭和8)年
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「本所」
現町名:墨田区江東橋三、五丁目
概要:古くは葛飾郡西葛西領のうち。はじめ「新カヤ町」と呼ばれていたらしい(延宝江戸図)。町名は茅・葭の販売業者が集住していたことに因む。1631(寛永8)年までは神田にあったが、以後深川御船蔵付近に替地となり、1657(明暦3)年の大火後、本所柳原町東続き竪川沿いの当地に代地が与えられた。1684(貞享元)年に御用地となり、代地とする土地がなかったため、1,151両と銀13匁6分余の屋敷代の支払いを受けて、浅草山之宿他各所に分散した。しかし、茅葭業者は茅置場に不自由し、1684(貞享元)年、訴えて本所北横川端の東に茅葭置場が許された。1693(元禄6)年、旧に復し町屋となった。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数158・人口634。物産に葭簀、葭簾、筆があった(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府本所区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市本所区に所属。同年、千葉から上京した伊藤左千夫が現在の錦糸町駅南口で牧場を開き、搾乳業を営む。
帝都復興計画の一環により、1930(昭和5)年から1933(昭和8)年にかけて、江東橋三丁目、柳原町に編入となり消滅。現行の江東橋三、五丁目のうち。
なお、ニュー錦糸町ビルは、戦後、現・錦糸町駅南口のバス・ロータリーにあった闇市・アマカラ横丁の移転先である。ニュー錦糸町ビル1階には一杯呑み屋が多数入居しており、面した通りには場外馬券場(WINS)があるため、「ダービー通り」と呼ばれている。ちなみに、新宿闇市の移転先は江東橋四丁目の錦糸町ハイタウンだという。錦糸町ハイタウンも下駄履き住宅となっており、1階には呑み屋等が複数入居している。
撮影場所:本所茅場町三丁目
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