【深川①004】深川相川町

町番号:深川①004

町名:深川相川町

読み方:ふかがわあいかわちょう Fukagawa-Aikawachō

区分:町丁

起立:1695(元禄8)年

廃止:1931(昭和6)年

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「深川」

現町名:江東区永代一丁目

概要:深川猟師町8ヶ町の1つ、また浜十三町の1つでもあった。寛永年間(1624~1645年)の開発で、当初は開発者で以後も名主を務めた相川新兵衛の名に因んで「新兵衛町」といった。御菜御用等の諸役を務める町で無年貢地だったが、1670(寛文10)年の検地以降は年貢地となった。1695(元禄8)年の石高13石余、反別1町1反1畝8歩、このとき町名を「深川相川町」と改称。1713(正徳3)年から町奉行支配も受け、代官所との両支配となる(備考)。化政期(1804~1830年)の家数210軒(町方書上)。牡蠣を取り扱う者が多いことから俗に「蠣店」といわれ、漁師たちは「えさば」ともいった。深川熊井町続に飛地があり、俗に「深川相川半町」といわれた(備考)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数123・人口550(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府深川区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市深川区に所属。

1931(昭和6)年、帝都復興計画の一環により、永代一丁目に編入となり消滅。

撮影場所:深川相川町

撮影地:江東区永代一丁目2番5号(隅田川 永代橋東詰南側 炭焼一徹)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。