【深川①027】深川西平野町

町番号:深川①027

町名:深川西平野町

読み方:ふかがわにしひらのちょう Fukagawa-Nishi-Hiranochō

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:1932(昭和7)年

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「深川」

現町名:江東区平野一・二丁目

概要:築地町24ヶ町の1つ。干潟であった所を1698(元禄11)年より埋め立て、1701(元禄14)年、本所相生町二丁目駿河屋喜兵衛、深川黒江町鳥居屋茂兵衛等4人が町屋とし、1703(元禄16)年に「深川長岡町」と名付けたが、のち名主・甚四郎の姓を採り、「深川平野町」とし、東西に2分する。1713(正徳3)年に代官支配から町奉行支配となる。化政期(1804~1830年)の家数64軒(町方書上)。深川辺へ飲用水を売りにくる船の多くがやってきたことから「水場」とも俗称され、仙台堀に架かった海辺橋を「水場の橋」といった。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、越後長岡藩秋田氏、近江膳所藩本多氏等の武家地及び旧授産場拝借地を合併。同年の戸数108・人口409(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府深川区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市深川区に所属。1896(明治29)年、当町に深川警察署が移転。明治30年代の町内には河岸通りに小池、江口、江島等の材木商店があり、深川女学校があった(画報)。

1932(昭和7)年、帝都復興計画の一環により、平野町一・二丁目に編入となり消滅。現行の平野一・二丁目のうち。

撮影場所:深川西平野町

撮影地:江東区平野一丁目2番1号(深川伊勢屋平野店 仙台堀川 海辺橋北詰東側)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。