【深川①046】深川富岡門前東仲町

町番号:深川①046

町名:深川富岡門前東仲町

読み方:ふかがわとみおかもんぜんひがしなかちょう Fukagawa-Tomioka-Monzen-Higashi-Nakachō

区分:町丁

起立:1869(明治2)年

廃止:1911(明治44)年4月30日

冠称:「深川」

現町名:江東区富岡一・二丁目

概要:前身は深川永代寺門前東仲町。富岡八幡宮の東に位置する門前町。1627(寛永4)年、富岡八幡宮境内地を同社の別当真言宗大栄山永代寺が拝領。その一部に1653(承応2)年、門前町を起立。1682(天和2)年の火災後、一時家作が禁じられたが、1697(元禄10)年に再度許可され、それ以後町人の所有地となった。永代寺へは地子・夫銀を納めた。1745(延享2)年、町奉行支配となる(備考)。化政期(1804~1830年)の家数177軒(町方書上)、町内には「永木屋」という材木商が住んでいたので「永木」と俗称される地域があった(永木横町)。当町の岡場所は、「土橋(どばし)」と呼ばれ、明和(1764~1771年)・安永年間(1772~1780年)頃に栄えたが、天保の改革時には全て廃業となった。しかし有名な茶屋平清楼のみが繁昌していた(川柳岡場所考)。

前身の深川永代寺門前東仲町として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、「深川富岡門前東仲町」と改称。1872(明治5)年の戸数158・人口603(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府深川区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市深川区に所属。明治30年代の町内には近江屋呉服店、牛肉店兼清、菓子舗花月堂等があった。

1911(明治44)年5月1日、「門前東仲町」に改称し消滅。

後身の門前東仲町は、1931(昭和6)年、帝都復興計画の一環により、富岡町一・二丁目に編入となり消滅。現行の富岡一・二丁目のうち。

撮影場所:深川富岡門前東仲町

撮影地:江東区富岡一丁目22番26号(居酒屋くろきん 門前仲町本店)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。