【深川①053】深川鶴歩町
町番号:深川①053
町名:深川鶴歩町
読み方:ふかがわかくほちょう Fukagawa-Kakuhochō
区分:町丁
起立:1736(享保21)年
廃止:1759(宝暦9)年頃
復活:慶応年間(1865~1868年)
廃止:1931(昭和6)年
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「深川」
現町名:江東区木場三丁目
概要:「鶴保町」とも書く。築地町24ヶ町の1つ。1850(嘉永3)年板の近吾堂板切絵図では、小名木川の南に「鶴保町之内松平大膳大夫町並屋敷」と見える。1698(元禄11)年、町人に払い下げ、のち、松平美濃守、永井伊豆守・土井周防守の屋敷地となるが、宅地に不適当なため上地される。1709(宝永6)年と1721(享保6)年の2度、深川平野町の名主平野甚四郎に預けられた。平野は1723(享保8)年、私費を投じて百姓地とし、「平野新田」と称し、見取年貢を上納。しかし、地味が悪いため、1729(享保14)年に町屋の起立を願い出て許され、町奉行・代官両支配となり、1736(享保21)年、甚四郎の俳名を採って「深川鶴歩町」と名付けられた。1759(宝暦9)年頃、信濃上田藩藤井氏の抱町並屋敷となり、1769(明和6)年、長門萩藩毛利大膳大夫に引き渡される(備考)。慶応年間(1865~1868年)に上地となり、以来町地となる(画報)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数30・人口105(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府深川区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市深川区に所属。
1931(昭和6)年、帝都復興計画の一環により、木場二丁目に編入となり消滅。現行の木場三丁目のうち。
※『角川日本地名大辞典』には「昭和6年木場1丁目となる」とあるが間違い。
撮影場所:深川鶴歩町
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