【深川①057】深川亀住町

町番号:深川①057

町名:深川亀住町

読み方:ふかがわかめずみちょう Fukagawa-Kamezumichō

区分:町丁

起立:1869(明治2)年

廃止:1941(昭和16)年

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「深川」

現町名:江東区深川一・二丁目

概要:1869(明治2)年、深川富久町深川万年町三丁目、深川平野町深川三角町が合併し起立。町名は「亀は万年」からか。南部には心行寺や玄信寺等が集中していた。女優・原節子は1920(大正9)年6月17日、当町で生誕。1872(明治5)年、三河西尾藩大給松平氏邸及び浄土宗幽遠山理照院玄信寺、浄土宗双宗山養源院心行寺、新義真言宗賢台山賢法寺法乗院、臨済宗長光山陽嶽寺等の寺地、武家地を合併。同年の戸数248・人口923(府志料)。 法乗院は「深川の閻魔」とも称された。町内には「本町」、「三角」と俗称される所があった。

1878(明治11)年11月2日、東京府深川区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市深川区に所属。

1940(昭和15)年、帝都復興計画の一環により2つに分かれる。1つは万年町一丁目の全部と二丁目の一部、和倉町の一部を吸収して亀住町を名乗り続ける地域、もう1つは万年町二丁目の一部、和倉町の一部、冬木町の一部とともに冬木町一丁目に編入される地域。しかし、翌1941(昭和16)年、亀住町を名乗り続けた地域も深川一丁目に編入となり消滅。

※『角川日本地名大辞典』には「もとは富久町平野・三角屋敷・万年町3丁目」とあるが、深川三角屋敷は1868(明治元)年に「深川三角町」と改称しているので間違い。

撮影場所:深川亀住町

撮影地:江東区深川一丁目8番16号(深川一郵便局)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。