【深川①068】深川富岡公園地
町番号:深川①068
町名:深川富岡公園地
読み方:ふかがわとみおかこうえんち Fukagawa-Tomioka-Kōenchi
区分:町丁
起立:1873(明治6)年
廃止:1931(昭和6)年
冠称:「深川」
現町名:江東区富岡一丁目
概要:江戸期には富岡八幡宮別当永代寺の庭園であった所。富岡八幡宮は江東一の大社で、1627(寛永4)年、俗に「永代島」と呼ばれた砂州一帯を長盛法師が埋め立て、社地を開いたことに始まる(江戸名所)。社殿は創建以来、度々修築、再建され、隔年の大祭は江戸市民を沸かせた。1652(慶安5)~1682(天和2)年まで、流鏑馬が行われ、門前の町々には「馬場通り」の俗称があった(備考)。また、1684(貞享元)年から1781(天明元)年まで、境内で勧進相撲が行われた。
明治維新の際、上地となり、1873(明治6)年、富岡公園が設定された。
永代寺は明治維新後、神仏分離令により廃寺となった。その跡地が現在の江東区立深川公園となったものである。当公園は、太政官布達によって1873(明治6)年に都内では飛鳥山公園、上野公園、芝公園、浅草公園と共に日本で最初に造られた公園の一つとして知られる。ところで江戸時代には成田山新勝寺の不動明王像がこの廃寺になった永代寺においてしばしば出張開帳されていた。これは、江戸っ子たちの間で大変評判になり、明治時代になってもその不動尊信仰は続いていた。永代寺が廃寺になっても当地で不動尊に参拝したいという人々の願いから、深川公園内に1878(明治11)年に成田山の東京別院(現在の深川不動堂)が置かれた。この不動堂は現在も当地にあり、多くの参拝客が訪れる。なお、永代寺は、1896(明治29)年、旧永代寺の塔頭の吉祥院が名称を引き継いで再興された。
また、1909(明治42)年には東京都内では二番目の古さを誇る深川図書館(初代)が当公園内にできる。当図書館は1923(大正12)年に関東大震災で被害を受け、1928(昭和3)年に清澄庭園傍に移転する。戦後、1975(昭和50)年に江東区に移管される。現在、深川公園は深川不動堂を挟んで東西に分断される形で存在し、広場やテニスコート等がある公園として地域の人に親しまれている。
1878(明治11)年11月2日、東京府深川区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市深川区に所属。
1931(昭和6)年、帝都復興計画の一環により、富岡一丁目に編入となり消滅。現行の富岡一丁目のうち。
撮影場所:深川富岡公園地
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