【深川①067】深川富岡門前山本町
町番号:深川①067
町名:深川富岡門前山本町
読み方:ふかがわとみおかもんぜんやまもとちょう Fukagawa-Tomioka-Monzen-Yamamotochō
区分:町丁
起立:1869(明治2)年
廃止:1911(明治44)年4月30日
冠称:「深川」
現町名:江東区門前仲町一・二丁目、富岡一丁目
概要:前身は深川永代寺門前山本町。富岡八幡宮の西に位置する門前町。富岡八幡宮の別当真言宗大栄山永代寺が拝領した地に、1731(享保16)年、山本屋十兵衛が願い出て、1739(元文4)年に家作が許された。永代寺へは地子・夫銀を納めた。1745(延享2)年、町奉行支配となる(備考)。化政期(1804~1830年)の家数は124軒(町方書上)。町内には「金子横町」、「馬場通り」の俗称があり、北側の河岸通りを「裾継(すそつぎ)」といった(備考)。1731(享保16)年、料理茶屋の営業が許可され、町内を3つに分けて「表櫓」、「裏櫓」、「裾継」と称し、1838(天保9)年には料理茶屋16軒・芸妓44人・娼妓120人を数えた(深川相川町名主の書上)。
前身の深川永代寺門前山本町として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年に「深川富岡門前山本町」と改称。1872(明治5)年の戸数31・人口108(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府深川区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市深川区に所属。明治30年代の町内には大野屋洋品舗、長野足袋店等があり、深川公園に通じる大通りは大いに賑わった(画報)。
1911(明治44)年5月1日、「門前山本町」に改称し消滅。
後身の門前山本町は、1931(昭和6)年、帝都復興計画の一環により、門前仲町一・二丁目(一丁目は道路のみ)、富岡一丁目(道路のみ)に編入となり消滅。
撮影場所:深川富岡門前山本町
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