【深川①088】深川千田町

町番号:深川①088

町名:深川千田町

読み方:ふかがわせんだちょう Fukagawa-Sendachō

区分:町丁

起立:1891(明治24)年

廃止:存続 「千田」として

冠称:1911(明治44)年5月1日から1947(昭和22)年3月14日までを除く期間と1968(昭和43)年11月30日まで「深川」

現町名:江東区扇橋二丁目、千田、海辺、千石一~三丁目

概要:前身は南葛飾郡千田新田。武蔵国葛飾郡西葛西領のうち。古くは隅田川・荒川河口部の海岸の干潟であった。宝永年間(1704~1710年)以降、江戸市中から出る塵芥で埋め立て、「十万坪築地」と称していた。享保年中(1716~1735年)、近江屋庄兵衛・井籠屋万蔵の2人が幕府に願い出て十万坪築地のうちに新田を開発。開発に3年を要し、1726(享保11)年に開発者・近江屋庄兵衛の姓・千田に因み、「千田新田」と名付けられた。検地は1727(享保12)年、伊奈半左衛門による(新編武蔵・葛西志)。

1736(元文元)年から村内東方で寛永通宝の背に「十」を記した十字銭が鋳造された。近江屋庄兵衛の請負と伝えられ、銭座の廃止後は銀座抱屋敷となり、1807(文化4)年には常陸下妻藩井上帯刀の抱屋敷となった(新編武蔵)。また、明和(1764~1771年)から安永年間(1772~1780年)にかけて上野安中藩板倉氏・薩摩藩島津氏の抱屋敷が置かれたが、1797(寛政9)年に両抱屋敷は一橋領となった。以後幕府領と一橋領の入会となり、また海辺新田・永代新田の一橋領を合わせ「一橋領十万坪」と俗称した(新編武蔵・葛西志)。『天保郷帳』には記載なし。幕末の村高は幕府領が20石余、一橋領が137石余(旧高旧領)。鎮守は稲荷八幡合社(新編武蔵)。この付近は安藤広重の風景画にも描かれたが、寂しい場所と知られ、河竹黙阿弥の『姐妃のお百』の舞台ともなっている。

前身の千田新田として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数33・人口178(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府南葛飾郡に所属。1891(明治24)年、東京府東京市深川区深川千田町となる。1936(昭和11)年、帝都復興計画の一環により、北の一部を扇橋二丁目に、東の一部を海辺町に、南の一部を千石町一~三丁目に譲り、残地に石島町の一部を併合して新しい町域の千田町となる。同年、町内の二十間川支流は高潮防禦のために埋め立てられた(現・千石公園はその一部)。1943(昭和18)年7月1日、東京都深川区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都江東区に所属。

1968(昭和43)年12月1日、住居表示の実施により、千田となる。現行の扇橋二丁目、千田、海辺、千石一~三丁目。

撮影場所:深川千田町

撮影地:江東区千田16番5号(江東区立江東公園南側)

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