【深川①062】深川扇橋町
町番号:深川①062
町名:深川扇橋町 一・二丁目
読み方:ふかがわおうぎばしまち Fukagawa-Ōgibashimachi
区分:町丁
起立:寛永年間(1624~1645年)
廃止:1932(昭和7)年
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「深川」
現町名:江東区白河四丁目、三好四丁目、平野四丁目
概要:葛飾郡西葛西領深川町分郷六間堀のうち(備考)。切絵図では小名木川の南で扇橋際に3ヶ所記されている他、南に1ヶ所記されている。江戸初期には海辺新田のうちで、寛永年間(1624~1645年)から百姓町屋が設けられた。町名は1695(元禄8)年以降に開削された大横川(俗に「亥の堀」という)に架かる扇橋に由来する。1713(正徳3)年、町奉行支配となる。南方の町屋は「下組」と俗称(備考)。化政期(1804~1830年)の家数101軒(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1870(明治3)年、亥の堀川(大横川)以東が深川東扇橋町として分離独立。1871(明治4)年、横川西岸の残地に深川源左衛門屋敷、深川清住町、深川海辺大工町代地町、深川猿江町代地、北本所代地町、八右衛門新田飛地、南本所扇橋代地町、深川島崎町続町を合併し、深川扇橋町一・二丁目となる。横川東岸の南北に細長い地域。1872(明治5)年の戸数114・人口508。物産に筆、箱火鉢、醤油があった(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府深川区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市深川区に所属。
1932(昭和7)年、帝都復興計画の一環により、一丁目は白河町四丁目、三好町四丁目に、二丁目は三好町四丁目、平野町四丁目に編入となり消滅。一丁目は現行の白河四丁目、三好四丁目、二丁目は現行の三好四丁目、平野四丁目のうち。
撮影場所:深川扇橋町一丁目
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