【南豊島】黒鍬町
町名:黒鍬町
読み方:くろくわちょう Kurokuwachō
区分:俗称
起立:江戸期
廃止:1868(慶應4・明治元)年
冠称:なし
現町名:渋谷区千駄ヶ谷四・五丁目
概要:『江戸切繪圖 : 俚俗 : 千駄ケ谷辺』に「○クロクワ甼」とある。この界隈、『江戸切繪圖』の最南端西側に「黒鍬組」と見えるが、最北端西側には「千駄ヶ谷町」、同じく東側は「御切手同心」とある。時代によって住人が代わるため、他の地図を見ると西側は山口新左衛門邸となり、東側は早くも明屋敷となっている。どちらにしても「黒鍬町」は俗称であったと思われる。
「黒鍬」とは武家の中で最下級の1つ。若年寄支配で小者・中間として江戸城内の修築作業や幕府から出される諸令伝達や草履取り等の雑務に従事した者をいった。その祖先は小荷駄隊に属し、陣地造営や橋等の築造、戦死者の収容や埋葬等を行った者であった。いずれにしろ、誰もやりたがらない任務を全うした人々である。その黒鍬町が千駄ヶ谷にあった。武士身分としては最下級であるが、町民ではないからここも純然たる町屋ではなく、やはり町名は俗称であったと思われる。
撮影場所:黒鍬町
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