【南豊島】四谷仲殿町
町名:四谷仲殿町
読み方:よつやなかどのまち又はよつやなかどのちょう Yotsuya-Nakadonomachi or Yotsuya-Nakadonochō
区分:俗称
起立:江戸期
廃止:1868(慶應4・明治元)年
冠称:「四谷」
現町名:渋谷区千駄ヶ谷四丁目
概要:『俚俗江戸切繪圖 千駄ヶ谷新屋敷』に「●仲殿甼○又ハ四谷御駕甼トモ云」とある。四谷駕籠組屋敷があったのだろう。『俚俗江戸切繪圖~』に書かれている住人の名前を見たところでそれが駕籠組所属の人名なのかは判断できない。この界隈は町屋ではなかったため、俗称であると思われる。四谷同様、伊賀者が住んだのか。また、ここは「四谷御駕町」ともいわれたそうで、駕籠組屋敷があったのだろう。同じく『俚俗江戸切繪圖~』に書かれている住人の名前を見たところでそれが駕籠組所属の人名なのかは判断できない。
なお、四谷御門付近の四谷大通り南側にも四谷仲殿町と四谷御駕籠町(そちらは「籠」の文字有り)があり、そちらは2町別扱いとされていた(四谷東仲町を参照のこと)。
駕籠といっても、庶民が利用した駕籠とは違い、武家専用の高級なものであるため、四谷御駕町は駕籠舁や駕籠作り職人の居住地ではない。御駕籠町は他にも巣鴨が有名(巣鴨御駕籠町→巣鴨駕籠町→小石川駕籠町)、また「駕籠」という言葉は使っていないが、小石川伝通院前陸尺町も同様に駕籠にまつわる。
界隈は町人地ではないので、十中八九俗称だったはずだが、他と同様、千駄ヶ谷のような僻地には資料が少なく判然としない。
この地域は1868(慶應4・明治元)年には千駄ヶ谷仲町一丁目となり消滅しているため、四谷仲殿町・四谷御駕町、いずれも正式町名には昇格していない。
撮影場所:四谷仲殿町
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