【南豊島】代々木新町
町名:代々木新町
読み方:よよぎしんちょう Yoyogi-Shinchō
区分:俗称→字→町丁
起立:江戸期
廃止:1961(昭和36)年
冠称:「代々木」
現町名:渋谷区代々木二~四丁目、初台一丁目、西原一・二丁目
概要:『新撰區分東亰明細圖』には「角筈新丁」の斜前に「代々木シン丁」とある。『大江戸今昔めぐり』には現・玉川上水旧水路緑道の最東端に「新町」とある。「代々木町」とも呼ばれたか。
甲州街道南側沿いの町屋。北側は角筈新町。甲州街道と玉川上水に挟まれ、東はJR新宿駅付近、西は本町一丁目交差点付近(京王電鉄の代々幡駅(廃駅))にまで及ぶ細長い町。京王線が走り、甲州街道沿いは商家が建ち並び、相当な繁華だったようだが、裏に回れば淋しいところだったという。
慶應4年11月5日(1868年12月8日)か、東京府豊島郡代々木村に所属(大字代々木字新町)。
1878(明治11)年11月2日、東京府南豊島郡代々木村大字代々木字新町となる。1889(明治22)年5月1日 、東京府南豊島郡代々幡村大字代々木字新町となる。1896(明治29)年4月1日、東京府豊多摩郡代々幡村大字代々木字新町となる。1915(大正4)年11月10日、東京府豊多摩郡代々幡町大字代々木字新町となる。
1932(昭和7)年10月1日、東京府東京市渋谷区に所属、渋谷区代々木新町となる。「甲州街道にそいし、民家を云う、千駄ヶ谷新町に続けり」(新編武蔵)。甲州街道と京王線に挟まれた東西に細長い町。 1943(昭和18)年7月1日、東京都渋谷区代々木新町となる。1959(昭和34)年6月15日に代々木二~四丁目に、1961(昭和36)年11月15日には初台一丁目、西原一・二丁目に編入となり消滅。
撮影場所:代々木新町
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