【南豊島】内藤新宿添地町

町名:内藤新宿添地町

読み方:ないとうしんじゅくそえちまち Naitō-Shinjuku-Soechimachi

区分:町丁→大字

起立:1868(明治元)年

廃止:1920(大正9)年3月31日

冠称:「内藤新宿」

後身:新宿三丁目、四谷永住町

現町名:新宿区新宿三丁目16番全域、15番東、17番東、四谷四丁目の一部

概要: 江戸期に甲州街道と青梅街道の分岐点を「追分」といったが、その西方と南方に内藤新宿の添地があって、「内藤新宿添地町」と称した。町名の由来は各地にあった飛地の総称のようなもの。

1868(明治元)年、起立。武蔵知県事管轄地所属。明治2年2月9日(1869年3月21日)、品川県豊島郡に所属。同年、内藤新宿一丁目東隣の寺地、追分南方の武家地を合併。明治4年12月5日(1872年1月14日)、東京府豊島郡に所属。1872(明治5)年の戸数15・人口46(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府南豊島郡に所属。1889(明治22)年5月1日、内藤新宿町が成立。東京府南豊島郡内藤新宿町大字内藤新宿添地町となる。1891(明治24)年3月18日、追分南方の添地は南豊島郡淀橋町大字角筈に、内藤新宿一丁目東隣の添地は四谷区四谷永住町に併合され、残余の追分南方の添地だけが残った。1896(明治29)年4月1日、豊多摩郡が成立し、東京府豊多摩郡内藤新宿町大字内藤新宿添地町となる。角筈五十人町と市電車庫(現・伊勢丹)の間の区域。

1920(大正9)年4月1日、東京府東京市四谷区に編入され、内藤新宿町大字内藤新宿三丁目の全域と当町の一部が四谷区新宿三丁目に編入となり消滅。

撮影場所:内藤新宿添地町

撮影地:新宿区新宿三丁目17番21号 (四文屋新宿店)

角筈渡辺町 内藤新宿南町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。