【南豊島】角筈十人町

町名:角筈十人町

読み方:つのはずじゅうにんちょう Tsunohazu-Jūninchō

区分:俗称→字

起立:不明

廃止:1932(昭和7)年9月30日

冠称:1878(明治11)年11月1日まで「角筈」

現町名:新宿区歌舞伎町一丁目2番(北除く)、3~19番

概要:江戸期に足軽十人組の組屋敷があったものと推測される。

新宿には4つの鴨の猟場があった。新宿御苑の池、浜野邸の池、前田家の池、十人町の大村邸の池。大村邸の池は、90mと80mの四角い池で、小さな島が2つあった。うち、1つには弁財天が置かれていた。大村邸は明治30年代に尾張屋銀行の頭取・峯島喜代女が土地を買い取り、「大村の山」と言われていた森林を伐採し、池も、淀橋浄水場の開設で掘り上げた土で埋め立てた。それ以後「尾張屋の原」と呼ばれるようになった。

淀橋浄水場の土で埋め立てた時、池の底から蛇が無数に出てきて、工夫がその蛇を空樽に入れて地下深く埋めたが、工事を請け負っていた三谷の夢枕に苦しんでいる蛇が出てきたらしく、そのことを頭取の峯島喜代女に告げると、峯島は巳年だったこともあり、急いで上野不忍池の弁財天を勧請して歌舞伎町弁天を建立したという。

1878(明治11)年11月2日、東京府豊島郡のうち12町25村の区域をもって東京府南豊島郡が発足。東京府南豊島郡角筈村大字角筈字十人町となる。1889(明治22)年5月1日、東京府豊島郡柏木村、角筈村、内藤新宿添地町の一部が合併し淀橋町成立。東京府豊島郡淀橋町大字角筈字十人町となる。1896(明治29)年4月1日、東京府豊多摩郡が成立し、東京府豊多摩郡淀橋町大字角筈字十人町となる。位置は850~904番地。

1932(昭和7)年10月1日、東京府東京市淀橋区発足。字渡辺土手際、字矢場、字五十人町とともに角筈一丁目に編入となり消滅。

撮影場所:角筈十人町

撮影地:新宿区歌舞伎町一丁目17番2号(小松ビル)

角筈五十人町 新町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:品川歩行新宿