【北豊島】巣鴨町
町名:巣鴨町 上組・仲組・上仲組・下仲組・下組(古地図や資料により違う)
読み方:すがもちょう Sugamochō
区分:町丁
起立:1737(元文2)年
廃止:1872(明治5)年4月
冠称:なし
現町名:豊島区千石四丁目、巣鴨一~五丁目、北区滝野川六丁目
概要:巣鴨村に属する地域のうち中山道に接する地域、駒込村に属する地域のうち日光御成道に接する地域は各々早くから町として発展し、1737(元文2)年、巣鴨村のうちに町屋が起立され、1745(延享2)年に町奉行支配となる。増上寺領。駒込寄りから下組、下中組、上中組、上組の4つに分かれ、上中組と上組は畑地に接し、上中組の北側は寛政年中(1789年~1801年)に置かれた幕府薬園に隣接。下中組から小石川五軒町へ向かう小路を子育稲荷の前を通ることから「稲荷小路」といっていた(備考)。化政期(1804~1830年)の家数318軒(町方書上)。草創人は百姓徳右衛門。名主家門前には高札が立てられていた(備考)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、巣鴨真性寺門前を下中組に合併。1872(明治5)年4月、周辺諸藩邸、薬園の土地を合併し、巣鴨一丁目から四丁目となり、消滅。
※ここで巣鴨町〇組は消滅したはずだが、『新撰區分東亰明細圖』(1876(明治9)年)には巣鴨町上組・中組・上中クミ・下中クミ・下クミと巣鴨一・二丁目が両存している。
撮影場所:巣鴨町上組
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