【南葛飾】本所瓦町

町名:本所瓦町

読み方:ほんじょかわらまち Honjo-Kawaramachi

区分:町丁→大字

起立:1882(明治15)年

廃止:1915(大正4)年8月30日

冠称:1889(明治22)年4月30日まで「本所」

現町名:江東区亀戸一丁目

概要:前身は南本所瓦町。葛飾郡西葛西領のうち。竪川の北に位置する。嘗ては南本所石原町続の館林家の蔵屋敷の近くにあった。のち源森橋東、さらに1694(元禄7)年には深川北松代町続に移転し、南本所瓦町となった。町名は元地にあった頃より瓦職人が多かったことによる。1705(宝永2)年、竪川沿いに汐除け土手が築かれた。1713(正徳3)年、町奉行・代官両支配となる。検地は1732(享保17)年、石高は3斗余で南本所町のうちに含まれた(備考)。化政期(1804~1830年)の家数27軒(町方書上)。町内を「五ツ目」と俗称(備考)。

前身の南本所瓦町として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数40・人口158(府志料)。1878(明治11)年11月2日、東京府本所区に所属。1882(明治15)年、「本所瓦町」と改称。

その後、1889(明治22)年5月1日、市制町村制施行が施行された際に横十間川以西が東京府東京市、以東が東京府南葛飾郡とされ、南葛飾郡内の各村も合併・再編された(「明治の大合併」)。当町は東京府南葛飾郡亀戸村大字瓦町となった。1900(明治33)年7月19日、亀戸村が町制施行して亀戸町となり、東京府南葛飾郡亀戸町大字瓦町となる。1915(大正4)年8月31日、亀戸町の12の大字名が整理統合され、大字一~九丁目となる。当町は大字一丁目に編入となり消滅。

※『角川日本地名大辞典』は読みを「ちょう」としている。また、Wikipediaでは亀戸町の大字撤廃について、「江東区の町名」は1915(大正4)年としているが、同じく「亀戸町」は1925(大正14)年11月10日としている。

撮影場所:本所瓦町

撮影地:江東区亀戸一丁目3番15号(ルーブル錦糸町)

深川北松代町四丁目 南本所瓦町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。