【神田②】御同朋町
町名:御同朋町
読み方:ごどうぼうちょう Godōbōchō
区分:町丁
起立:1672(寛文12)年(1670(寛文10)年とも)
廃止:江戸期
冠称:なし
後身:神田明神下同朋町
現町名:千代田区外神田二丁目10~15番、六丁目1~3番
概要:神田明神下同朋町の古名。詳細は神田明神下同朋町を参照のこと。
江戸時代初期頃まで、神田神社にほど近いこの地区は、大きな寺が建ち並ぶ寺社地だったが、明暦の大火(振袖火事)(1657年(明暦3)年)によって、神田一帯は焼け野原になってしまった。翌年、幕府は本格的な江戸の再開発に乗り出し、その際、神田神社の裏門周辺は御坊主衆(おぼうずしゅう)の屋敷地に指定された。更に1670(寛文10)年には、町内に商人や職人が住む町屋もできた。
「御坊主衆」とは、江戸城内で将軍や大名等、身分の高い武士に仕えた法体姿(ほったいすがた)の案内世話役のことで、同朋衆(どうぼうしゅう)とも呼ばれた。彼等の主な仕事は、江戸城内の案内や茶、弁当の手配等。将軍が外出する際は長刀を持って従った。4人の上役を同朋頭(200石高)といい、この4人だけが将軍や老中、若年寄の用事を担当し、それ以外の御坊主衆は大名たちの用事を務めた。
また、『南総里見八犬伝』で有名な曲亭馬琴(滝沢馬琴)は、1824(文政7)年、九段中坂から当町に移り、1836(天保7)年まで住んだ。
※『千代田区町名由来版』では、「町内に商人や職人が住む町屋もできた」のたが1670(寛文10)年とあるが、『御府内備考』では1672(寛文12)年。
撮影場所:御同朋町
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