【神田②】神田明神下同朋町
町名:神田明神下同朋町
読み方:かんだみょうじんしたどうぼうちょう Kanda-myōjinshita-Dōbōchō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1869(明治2)年
冠称:「神田」
後身:神田同朋町
現町名:千代田区外神田二丁目10~15番、六丁目1~3番
概要:嘗ては豊島郡峡田領芝崎村のうちと伝える。神田明神社の東側にあった町で一帯を俗に「明神下」といった。明神下一帯は、野村胡堂による捕物帳『銭形平次』の住居に設定されている。正保年中(1645~1648年)は万徳寺、高岩寺、雲仙寺等があった(東京地理志料)が、1657(明暦3)年の大火後は引地となり、1658(明暦4)年に同朋衆に与えられ、山口栄立・竹内裕二等、御坊主方の拝領地となった。1672(寛文12)年、町屋が許可されて「御同朋町」と称し、町方支配となる(備考)(『千代田区町名由来版』では、「町内に商人や職人が住む町屋もできた」のたが1670(寛文10)年とある)。化政期(1804~1830年)の家数は135軒、他に19の拝領屋敷があった(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、神田同朋町と改称し消滅(御同朋町から神田明神下同朋町に改称した時期は不明)。神田同朋町も1964(昭和39)年、現行の外神田二、六丁目に編入となり消滅。
撮影場所:神田明神下同朋町
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