【日本橋②】甚左衛門町
町名:甚左衛門町
読み方:じんざえもんちょう Jinzaemonchō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1869(明治2)年
冠称:なし
後身:新葭町
現町名:中央区日本橋人形町一丁目、日本橋小網町
概要:切絵図によると日本橋川と東堀留川の合流点(現行の日本橋小網町の一部)沿岸に、小網町一丁目横町を囲むように鍵型に位置している。町名主の名により町名を付した(続砂子)が、吉原を創設した庄司甚右衛門(又は甚左衛門)が居住したこともあり、「甚右衛門町」又は「甚左衛門町」と呼んだ。彼は小田原北条氏の浪人で、1617(元和3)年に遊廓設置を許可され、葺屋町付近に二丁四方の地を与えられた。彼は皆から親しみを込めて「親父」と呼ばれ、彼の架けた橋は「親父橋」と命名された。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、堀江六軒町と合併し、新葭町の起立となり消滅。現行の日本橋人形町一丁目と日本橋小網町に跨る一部。
撮影場所:甚左衛門町
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