【日本橋①070】新葭町
町番号:日本橋①070
町名:新葭町
読み方:しんよしちょう Shin-Yoshichō
区分:町丁
起立:1869(明治2)年
廃止:1933(昭和8)年
冠称:なし
現町名:中央区日本橋人形町一、三丁目、日本橋小網町
概要:1869(明治2)年、八町河岸の1つであった堀江六軒町と甚左衛門町が合併してできた町。東堀留川の河岸地があり、里俗名を「芳町河岸」といった。江戸時代の町内には浄瑠璃半太夫節で有名な江戸半太郎の居宅や、料理屋の豊田屋、桜井等があった。
慶応4年版の『よし町五軒組男口入所』の摺り物によると、江戸期から奉公人の口入屋が多く、明治期にも千束屋、大坂屋等6軒の周旋業者がいた。また、東の親父橋から人形町へ通ずる俗称「親父橋通り」は歩道と車道が分けられ、両側に柳を植えたという(画報)。1872(明治5)年の戸数85・人口323(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府日本橋区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市日本橋区に所属。
1933(昭和8)年、帝都復興計画の一環により、芳町一・二丁目、小網町二丁目のそれぞれに編入となり消滅。現在の中央区日本橋人形町一、三丁目、日本橋小網町のうち。
※本文に「八町河岸」とあるが、本船町、伊勢町、小網町、小舟町、八軒町、堀留町、堀江町及び堀江六軒町の8町には米問屋が集まっており、「河岸八町」と呼ばれていたが、そのことか。
撮影場所:新葭町
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