【日本橋②】三股富永町
町名:三股富永町
読み方:みつまたとみながちょう Mitsumata-Tominagachō
区分:町丁
起立:1775(安永4)年
廃止:1790(寛政2)年
冠称:なし
後身:隅田川の浅瀬 1886(明治19)年から中洲町
現町名:中央区日本橋中洲
概要:「大川洲渚」のことで、中洲町の古名。1771(明和8)年7月27日(6月16日)、川の流れで積み重なった洲であったが、馬込勘解由(6代目、馬込興承)により浜町と地続きになるように埋め立てが行われ、1773(安永元)年1月10日(12月18日)に「中洲新地」として竣工した。
1775(安永4)年には町屋が整い、三股富永町が起立。夕涼みや月見等を楽しむ「観月納涼」の名所として賑わい、茶屋等が並んでいたが、1790(寛政2)年には寛政の改革で取り払われてしまった。詳細は中洲町を参照のこと。
『大江戸今昔めぐり』によると、中央区日本橋中洲15番地にある信号機の辺りから水辺が3股に分かれており、左手に大きな中洲、右に小さな中洲があった。三股富永町は古地図には残されていないので、大きな方の中州の現・清洲橋の西詰を仮定地とした。
撮影場所:三股富永町
撮影地:中央区日本橋中洲7番1号(まいばすけっと清洲橋西店)
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