【京橋②】石川島

町名:石川島

読み方:いしかわじま Ishikawajima

区分:島

起立:寛永年間(1624~1645年)

廃止:存続

冠称:なし

後身:佃町

現町名:中央区佃一・二丁目

概要:江戸期からの島名。隅田川河口に堆積した三角洲古くは、「みこく島」、「森島」、「鎧島」と呼ばれた(寛永図・江戸名所)。切絵図には佃島の北に「石川島」と記されている。島名は寛永年間(1624~1645年)、船手頭石川八左衛門重次の所領となり、屋敷が置かれたことにより、俗に「八左衛門島」ともいった。1790(寛政2)年、幕府の改革の一環として近隣の寄り洲を築き立てて拡張し、人足寄せ場を設置し、江戸に流入した無職・浮浪人を強制収容して就業させる授産場とした。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1870(明治3)年、人足寄せ場は廃止され、跡地は犯罪人の懲役場となった。これが俗称「石川島の監獄」で、1895(明治28)年に巣鴨に移転するまで続いた。また1853(嘉永6)年には幕府の委託で水戸藩が島北部に石川島造船所を創設、維新後、官営石川島造船局製造所となり、1876(明治9)年に民間に払い下げられ、我が国初の民営西洋型造船所となった。1872(明治5)年、南隣の佃島とともに町を起立し、町名を佃町若しくは佃島を起立した。

撮影場所:石川島

撮影地:中央区佃二丁目1番(石川島公園 パリ広場)

漁師町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。