【赤坂②】麻布今井町
町名:麻布今井町
読み方:あざぶいまいちょう Azabu-Imaichō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1872(明治5)年
冠称:「麻布」
現町名:港区赤坂八丁目12番23~28号及び九丁目3番21~24号・4番13号・5番27~29号
概要:近代以後の麻布今井町とは全く別の地。公称は麻布今井町だが、江戸期には俗称として「赤坂今井町」と呼ばれていた。これは赤坂に隣接した地域であるため、古地図でもそのように書かれているものが多いが、それが誤りなのか、通称名としてわざと明記したものであるかは不明。切絵図では尾張屋版は慣用を記し、近吾堂版は公称を記している。
もとは今井村のうちの今井本村。1713(正徳3)年、町奉行支配となる以前から、既に「百姓町家之分今井町」とある(備考)。1827(文政10)年の総家数は76軒、家持11・家守4・店借65(町方書上)。その他、麻布今井町飛地(1870(明治3)年、青山北和泉町となる)があった。この飛地は間口3間半・奥行7間半に過ぎず、飛地の由来も不詳。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、北隣の赤坂一ツ木町飛地を合併。1872(明治5)年、付近の武家地とともに赤坂檜町、赤坂新坂町に編入となり消滅。現行の赤坂八丁目12番23~28号及び九丁目3番21~24号・4番13号・5番27~29号にあたる。
『大江戸今昔めぐり』では港区赤坂九丁目5番1号北東から3番北東、八丁目12番28号東、25号中南部が当町となっている。
撮影場所:麻布今井町
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