【赤坂②】青山御炉路町
町名:青山御炉路町
読み方:あおやまおろじちょう Aoyama-Orojichō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1868(慶応4)年
冠称:「青山」
後身:青山炉路町
現町名:港区北青山一丁目7番と二丁目1番北東との間
概要:「青山御爐路町」、「青山御路次町」とも書いた。幕府御炉路の者14人が神田御茶の水に拝領していた町屋が御堀普請のため召し上げられ、1683(天和3)年に代地として青山和泉守上げ屋敷のうちを拝領した。御炉路の者は御数寄屋懸衆であるため、俗に「御数寄屋町」とも呼ばれた(備考)。1828(文政11)年の総家数33軒、うち地主8・店借25(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。その際、「御」の字を取り、「青山炉路町」と改称し消滅。1869(明治2)年、青山五十人町とともに青山相生町に編入となり消滅。現行の北青山一丁目7番と二丁目1番北東との間で、神宮外苑の中。
撮影場所:青山御炉路町
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