【小石川②】小石川金杉水道町
町名:小石川金杉水道町
読み方:こいしかわかなすぎすいどうちょう Koishikawa-Kanasugi-Suidōchō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1872(明治5)年8月
冠称:「小石川」
後身:小石川水道町、小石川表町、小石川金富町、小石川久堅町、小石川仲町
現町名:文京区春日一・二丁目、小石川四丁目
概要:古くは金杉村の百姓地。1656(明暦2)年、町屋が許され、1672(寛文12)年より代官の一手支配となったが、1691(元禄4)年から町奉行・代官の両支配となる(備考)。町名の由来は承応年間(1652~1655年)から神田上水定浚を仰せつけられていたため。
町内には「坂通町」、「肴店町」、「表町」、「稲荷前町」の4つの俗称があった。当町付近は古くは入江で、「坂通町」とは古くは安藤坂を猟師が網を干すため、「網干坂」と称し、それが伝通院前の坂なので「坂懸町」といったことによる。「肴店町」と称するのは江戸期まで魚市が立っていたので名付けられた俚俗名。「表町」は伝通院境内に樹木が多く日当りが悪く「日陰町」といったのに対し、表通りに面した部分をいつしか「表町」というようになった。また、多福院付近を鶯の鳴き声が素晴らしかったので「鶯谷」といった。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年5月、大部分が小石川水道町と小石川金富町に、残余がそれぞれ5月に小石川仲町に、6月に小石川久堅町に、8月に小石川表町の各一部に編入となり消滅。
撮影場所:小石川金杉水道町
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