【小石川②】小石川長右衛門町
町名:小石川長右衛門町
読み方:こいしかわちょうえもんちょう Koishikawa-Chōemonchō
区分:町丁か俗称
起立:明治維新後か
廃止:1869(明治2)年か1872(明治5)年
冠称:「小石川」
後身:小石川春日町
現町名:文京区本郷一丁目
概要:1710(宝永7)年の町内の絵図には「小谷甚四郎屋敷」とある。宝暦16年に小石川春日町の家主・長右衛門に譲り渡されて「小石川長右衛門屋敷」と称した(備考)。
※上のように『角川日本地名大辞典』には「宝暦16年」とあるが、宝暦は14年までしかない…。
小石川長右衛門屋敷のまま明治維新を迎えたか、維新によって「小石川長右衛門町」と改称したのか不明。或いはそもそもそう称したのか、俗称だったのかも不明。
『角川日本地名大辞典』では小石川長右衛門屋敷として、1872(明治5)年に小石川春日町に編入となり消滅とあるが、『小石川区史』では1869(明治2)年には既に小石川春日町に編入となり消滅している。出世稲荷神社(春日稲荷神社)の裏手。嘗ては小石川区春日町42~48番地。
なお、『御府内備考』には「東の方往来隔松平錫様、西の方往来路次隔春日町、南の方同町、北の方往来隔田付四郎兵衛様」とあるが、『小石川谷中本郷繪圖』、『大江戸今昔めぐり』では正しくは確認できない。
撮影場所:小石川長右衛門町
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