【小石川①008】小石川春日町
町番号:小石川①008
町名:小石川春日町
読み方:こいしかわかすがちょう Koishikawa-Kasugachō
区分:町丁
起立:1630(寛永7)年
廃止:存続 「春日」として
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「小石川」
現町名:文京区小石川一丁目、本郷一、四丁目
概要:1630(寛永7)年、春日局(家光の乳母)の願い出により原野が下男30人の拝領地・町屋となったことによる。町名は春日局に因む(備考)。もとは俗称の「春日殿町」。春日は奈良県の地名で、由来は「幽処(かすか)=ひっそりとした原始林のある土地」の意。春日局は三代将軍・家光の乳母。春日局の墓は湯島四丁目、東京大学の東南、春日通りに面した麟祥院にある。拝領地になったとき、その鎮守のために稲荷社が祭られ、春日局に肖って「出世稲荷」と呼ばれた。1694(元禄7)年、町奉行支配となる。『金々先生栄花夢』(1775(安永4)年)で有名な江戸時代中期の戯作者で浮世絵師である恋川春町の名は当町名からの拝借である。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年までに小石川長右衛門屋敷(小石川長右衛門町)と付近の武家地を併せた。同年の戸数100・人口358(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府小石川区に所属。同年、小石川砲兵工廠跡に後楽園スタディアムが成立。野球が行われるだけではなく、1880(明治13)年には上越石打地方から雪を運んで造られたシャンツェで第1回全日本選抜スキージャンプ大会が行われた。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市小石川区に所属。1940(昭和15)年4月1日、餌差町、下富坂町、小石川町の一部を合併して一~三丁目に分ける。1943(昭和18)年7月1日、東京都小石川区に所属。後楽園スタディアムは、戦時中は兵舎になったり、戦後には野菜畑と化したが、1946(昭和21)年4月27日、戦後野球の第一歩を踏み出した。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。
1965(昭和40)年4月1日、住居表示の実施により、小石川二丁目と仲町、金富町の全部に、春日町二丁目、大和町、表町、水道町、大門町、同心町、第六天町の各一部を併せた町域を現行の「春日」とした。「小石川春日町」と名乗っていた地域で、現・文京区春日であるのは一丁目16番のみである。なお、もともとの「春日殿町」といわれた界隈は本郷一丁目となる。
撮影場所:小石川春日町
0コメント