【下谷②】下谷山崎町
町名:下谷山崎町 一・二丁目
読み方:したややまざきちょう Shitata-Yamazakichō
区分:町丁
起立:1699(元禄12)年
廃止:1869(明治2)年
冠称:「下谷」
後身:下谷万年町一・二丁目
現町名:台東区東上野四丁目、北上野一丁目
概要:往古沼地で葭茅が茂っていたが、1616(元和2)年に開拓して黒鍬者の拝領地となり、「下谷黒鍬町」と俗に呼ばれた。
1698(元禄11)年、南半部は上地されて出羽本庄藩六郷氏下屋敷とされた。翌1699(元禄12)年、町屋敷とされた際、「下谷山崎町」と命名されて一・二丁目に分けられ、同年町奉行支配となった。しかし、享保江戸図・宝暦江戸図・文化江戸図はいずれも「黒鍬町」と記しているので、「下谷山崎町」と命名されてからも通称が用いられていたと考えられる。町名の由来は「東叡山麓の儀に付山崎町と名付候」(備考)とある。1768(明和5)年以後、一丁目に乞胸が住むようになり、二丁目には鞍馬方大蔵院配下の山伏が住んでいた。1828(文政11)年の家数611軒(町方書上)。落語「黄金餅」の舞台で江戸三大貧民窟の1つだった(他に四谷鮫ヶ橋、芝新網町)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、縁起を担いで「下谷万年町」と改称し消滅。現行の東上野四丁目、北上野一丁目の各一部。
撮影場所:下谷山崎町一丁目
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