【下谷②】谷中七面前町

町名:谷中七面前町

読み方:やなかしちめんまえちょう Yanaka-Shichimemmaechō

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:1891(明治24)年

冠称:「谷中」

後身:谷中初音町三丁目

現町名:台東区五丁目11番付近

概要:『備考』に「元新堀村の内より相分、年代不相知町屋に相成候儀に有之」とある。町名の由来は新堀村所在の日蓮宗宝珠山延命院境内に七面明神社があることによる。江戸期は寛永寺領で目代支配地であった。1828(文政11)年の家数21軒(町方書上)。

「七面」とは現・台東区谷中五、七丁目と現・荒川区西日暮里三丁目の境を御殿坂上から西に下る「七面坂」から。途中、西日暮里三丁目14番辺りで二股に分かれ、右の方は谷中銀座へ下るが、左の方長命寺の墓地裏、宗林寺(通称「萩寺」)の前辺りに下る。その坂名は坂の北側にある日蓮宗妙顕寺派延命院の七面社に因む。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数11・人口33(府志料)。1878(明治11)年11月2日、下谷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京市に所属。1889(明治22)~1891(明治24)年の間に谷中初音町三丁目に編入となり消滅。延命院は荒川区日暮里三丁目に現存、道路を隔てた谷中五丁目11番付近が嘗ての町域と思われる。

撮影場所:谷中七面前町

撮影地:台東区谷中五丁目11番17号(和泉家石材店)

谷中感応寺中門前町 谷中片町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。