【浅草②】浅草元鳥越宮本町
町名:浅草元鳥越宮本町
読み方:あさくさもととりこえみやもとちょう Asakusa-Moto-Torikoe-Miyamotochō
区分:町丁
起立:1868(慶応4・明治元)年
廃止:1872(明治5)年6月
冠称:「浅草」
後身:浅草元鳥越町
現町名:台東区鳥越二丁目4番
概要:前身は浅草元鳥越長楽寺門前町と浅草元鳥越明神門前。
浅草元鳥越長楽寺門前町について…長楽寺は鳥越明神社の別当寺 真言宗高野山金剛院の末寺。門前町屋は往古豊島郡峡田領鳥越村の一部で、鳥越明神社神主と別当寺の持合地であったが、1765(明和2)年に浅草元鳥越長楽寺門前町と浅草元鳥越明神門前に分割。表門の東西2ヶ所でともに年貢地。東側は東西10間余・南北5間半、西側は東西3間・南北7間(備考)。1828(文政11)年の家数は4軒(町方書上)。
浅草元鳥越明神門前について…鳥越明神社は旧名を「白鳥大明神」といい、祭神は日本武尊。往古は豊島郡峡田領鳥越村の一部で、神主鏑木権頭と別当長楽寺の持合地であったが、1765(明和2)年に浅草元鳥越明神門前と浅草元鳥越長楽寺門前町に分割。間口9間3尺余・奥行27間余・裏幅6間4尺で220坪余(備考)。1828(文政11)年の家数21軒(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。両者を合して浅草元鳥越宮本町となる。『角川日本地名大辞典』では「『東京府日誌』の1869(明治2)年3月の項に町名が記載されているから、慶応末年の起立であろう」と推測している。1872(明治5)年6月、浅草元鳥越町に編入となり消滅。現行の鳥越二丁目の一部。
※『角川日本地名大辞典』では読みを「とりごえ」としているが、清音が正しい。
撮影場所:浅草元鳥越宮本町
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