【浅草①025】浅草元鳥越町
町番号:浅草①025
町名:浅草元鳥越町
読み方:あさくさもととりこえちょう Asakusa-Moto-Torikoechō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1934(昭和9)年
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「浅草」
現町名:台東区鳥越二丁目
概要:もと豊島郡峡田領鳥越村のうちで、徳川家康の江戸入りの後、小山を削って隅田川を埋め立てて平地とし、1645(正保2)年に町屋を命じられて「浅草鳥越町」と命名。同年、町域の一部が収公され、その際に給された代地が「浅草新鳥越町」と称したので、「浅草本鳥越町」と改称。その後、さらに「浅草元鳥越町」と改称。1732(享保17)年にも町域の一部が収公され、浅草黒船町裏側に代地を給され、その代地は「浅草元鳥越町新地」と称し、1869(明治2)年に「浅草新福富町」と改称する。1828(文政11)年の家数406軒(町方書上)。
町内の鳥越神社は651(白雉2)年5月の創建と伝え、祭神は日本武尊。はじめは「白鳥大明神」といっていたが、源頼義・義家父子東征の際、水鳥の飛ぶのを見て隅田川の浅瀬の所在を探し当てたという故事に因んで、「鳥越大明神」と改称したといわれる。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年に浅草元鳥越町続書替奉行跡町屋を、1872(明治5)年には浅草元鳥越宮本町を併合。同年の戸数389・人口1,720(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府浅草区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市浅草区に所属。
1934(昭和9)年、帝都復興計画の一環により、鳥越二丁目に編入となり消滅。
※『角川日本地名大辞典』には「享保17年にも町域の一部が収公され、黒船町裏側に代地を給され、その代地は元鳥越町新地と称し明治初年浅草福井町となる」とあるが間違い。「1869(明治2)年に浅草新福富町と改称」が正しい。また、読みを「とりごえ」としているが清音が正しい。
撮影場所:浅草元鳥越町
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