【浅草②】竹町
町名:竹町
読み方:たけちょう Takechō
区分:俗称か
起立:江戸期
廃止:江戸期
冠称:なし
現町名:台東区雷門二丁目
概要:『本所繪圖:嘉永新鐫』(1855(安政2)年)にはある。隅田川の吾妻橋西詰南側に「竹町」とある。竹木商が多かったためであるということらしいが、本所側の中之郷竹町と浅草側を結ぶ「竹町の渡し」(別称は多数あり、「駒形の渡し」、「花方の渡し」、「業平の渡し」、「中之江の渡し」)が吾妻橋西詰南側にあったためでもあるか。現在の吾妻橋と駒形橋のほぼ中間の場所にあった渡しで、安永年間(1772~1781年)に吾妻橋が架橋されて利用者減となったものの、運航は1876(明治9)年までと記録が残る。『備考』には「材木町より本所竹町(中之郷竹町のこと)への船渡しなり。此渡しは古く始まりしにや、正保改定武蔵国図当所と覚しき処舟渡し九十二間と注せり」とある。「吾妻橋とはわがつま橋よ、そばをわたしもついてくる」と俗謡にも歌われた。
その浅草側は『東都淺草繪圖』(1857(安政4)年)によると「材木町」となっており、浅草材木町は起立年代は不詳ながら、寛文江戸図(寛文年間(1661~1673年)には既に「さいもく丁」とあるので「竹町」は俗称であったものと思われる。
撮影場所:竹町
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