【浅草①040】浅草材木町

町番号:浅草①040

町名:浅草材木町

読み方:あさくさざいもくちょう Asakusa-Zaimokuchō

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:1934(昭和9)年

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「浅草」

現町名:台東区雷門二丁目(入会地だった地域は除く)

概要:成立年代は不詳だが、寛文江戸図に既に「さいもく丁」の記入がある。古くは「小浜宿」と呼ばれ、後に町屋を開いて浅草寺となった(年代不詳)。町内に竹木商が多かったのに因む町名であるが、俗に「竹町」ともいった(案内)。大川の対岸への渡しがあり、竹町の渡し(往古は「花方の渡し」)といい、92間、中之郷竹町在住の山城屋次右衛門の請負。材木町河岸の北には浅草寺物揚場があり、将軍参詣の際に利用した。

1767(明和4)年に焼失するまで三社権現の本地阿弥堂があったが、その地は専堂坊の所有であった。草分け勝田権左衛門が名主を勤める(備考)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数114・人口532(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府浅草区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市浅草区に所属。

1934(昭和9)年、帝都復興計画の一環により、浅草雷門一丁目に編入となり消滅。現行の雷門二丁目の隅田川沿いの地。

撮影場所:浅草材木町

撮影地:台東区雷門二丁目3番8号(GLA総合本部第一別館 時代屋)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。