【本所②】本所総録屋敷町

町名:本所総録屋敷町

読み方:ほんじょそうろくやしきちょう Honjo-Sōroku-Yashikichō

区分:町丁

起立:1693(元禄6)年6月

廃止:1869(明治2)年

冠称:「本所」

現町名:墨田区千歳一・二丁目

概要:『安政改正御江戸大絵図』では町屋を示す灰色に塗られ、「ソウコクヤシキ丁」と書かれており、『本所深川繪圖』では「亀井屋敷」とある。内容年代はともに1858(安政5)年である。なお、『大江戸今昔めぐり』では「惣録屋敷百瀬検校 1,890坪」とある。また、『南本所大川ヨリ横川マデ竪川ヨリ小名木川ノ間 : 天保一一年八月ノ形』には「惣録屋敷拝領町屋」とある。

「総録(惣録/惣禄)屋敷」とは、関東周辺の琵琶法師や鍼灸師、按摩等の盲人を統括していた屋敷のことで、他に「一ツ目総録(惣録/惣禄)屋敷」ともいった。ただし、正式には「松黒屋敷」といい、本所弁天門前と同様、1693(元禄6)年6月に杉山惣検校拝領地で弁天社東側に起立した町屋。町奉行支配地。

1693(元禄6)年6月、五代将軍綱吉の治療の功で褒美を尋ねられ、杉山和一は目を請うた。そこで綱吉は頓知を効かせ、一ツ目(本所一之橋際の土地)と関東総録検校職を与えたと伝えられている。そのため別名「杉山屋敷」ともいった。1町4方(約12,000平方メートル)の土地に総録(惣録/惣禄)屋敷と江島杉山神社神社が建てられ、鍼治講習所もあった。1694(元禄7)年の検校の死後、弟子の三島惣検校に譲り、代々惣禄検校が拝領した。町名も惣禄の苗字を採った(備考)。現行の千歳一・二丁目のうち。

1869(明治2)年、本所弁天門前、本所八郎兵衛屋敷とともに、起立となった本所千歳町に編入となり消滅。その当時の町名は「本所中林屋敷」だったので、惣検校は中林姓だったのであろう。

※『角川日本地名大辞典』では「現行の千歳1丁目のうち」とあるが間違い。

撮影場所:本所総録屋敷町

撮影地:墨田区千歳二丁目13番12号(弁天湯)

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