【日本橋 河岸】稲荷河岸

河岸名:稲荷河岸

読み方:いなりがし Inari-gashi

区分:河岸

成立:江戸期

廃止:1905(明治38)年

現町名:中央区日本橋小網町

概要:『江戸切繪圖 : 俚俗 : 小網町・箱崎・浜町辺』の稲荷堀(とうかんぼり)の西側に「○稲荷河岸」とある。

以下、中央区教育委員会が設置している説明板を引用。

小網町蛎殻町一丁目の境にあたるこの辺一帯は、昔は掘割になっていました。その河岸の端に稲荷神社があったことから、稲荷を音読みで「とうか」とか「とうかん」と読んで、堀をとうかん堀と呼んだと伝えています。

この地域は、この堀を利用して、各種の荷物が船で運ばれたために問屋が集り、特に瀬戸物問屋の多かった所です。堀の出入口にあった行徳河岸は、寛永九年(一六三二)以来、この堀と下総(千葉県)行徳村とをむすんできました。この水路は行徳からの塩の受入地となり、また江戸から下総への唯一の交通路となって、行徳行きの人と塩などを積んだ船が出入りする賑やかなところでした。

この堀は、最古の江戸図といわれる「寛永江戸図」にも、見られます。また、この堀にそって酒井雅楽頭(うたのかみ)の屋敷があり、幕末までありました。姫路藩十五万石の藩主として知られています。酒井家の屋敷の一部は、明治維新の後、明治六年(一八七三)十月まで西郷隆盛の屋敷となりました。

なお、東華小学校(現、日本橋小学校)の校名は稲荷堀の稲荷(とうか)をとって東華(とうか)と名付けられたといわれています。 平成九年三月 中央区教育委員会」

なお、稲荷堀は1905(明治38)年に埋め立てられた。

撮影場所:稲荷河岸

撮影地:中央区日本橋小網町3番地18号(コインランドリーホワイト)

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:市ヶ谷田町下二丁目