【南豊島】青山相模殿町
町名:青山相模殿町
読み方:あおやまさがみどのまち Aoyama-Sagamidonomachi
区分:俗称か
起立:江戸期
廃止:不明
冠称:「青山」
現町名:渋谷区神宮前一・二丁目、千駄ヶ谷二・三丁目辺り
概要:『新修港区史』の第一編 第五章 近世 第四節 寺社とその周辺(六) 文人たちの世界「幕末期の諸家」の項中、表46「幕末期文久年間諸家人名録」によると、青山地区に画家の久保田南園が住んでいたとのことで、その居住地として「青山相模殿町」とある。地図では一切見たことがないが、青山地区で相模藩の屋敷は渋谷区立千駄ヶ谷小学校付近の相模小田原藩 大久保加賀守忠愨屋敷しか見当たらないため、その跡地を撮影。町域は定かではない。 明治維新後無理に名付けられた町名かと考えたが幕末期の芸術家一覧にあるので俗称なのであろう。久保田は大久保の屋敷内に居住していたのだろうか。
※このサイトでは千駄ヶ谷や原宿地区は南豊島地区としているが、江戸期にはこの辺りも「青山」であったのだろう。
撮影場所:青山相模殿町
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