【荏原】三軒家町


町名:三軒家町

読み方:さんげんやちょう Sangenyachō

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:不明

冠称:不明

現町名:品川区南品川三丁目

概要:『大江戸今昔めぐり』では南品川品川寺門前南側、東海道を挟んでの真向かい、俗称「観音前」に「三軒家町」とある。 南品川品川寺門前と南品川海雲寺門前に、武蔵屋、釜屋、三河屋という立場茶屋があったことからそう呼ばれた。したがって、海運寺の門前も三軒家町ということになりそうだ。

宿場町とは違い、門前町では旅籠の営業は認められていなかったが、とくに武蔵屋、釜屋は本陣以上に繁盛したため、諸侯の小休・下宿を務めていた。

まず、 寛文年間(1661~1673年)に先代久左衛門が諸侯相手に休憩所として武蔵屋を南品川品川寺門前に創業。その後、先代九郎兵衛が休憩所として釜屋を創業。さらに享保年間(1716~1736年)、先代喜七が三河屋を創業。ここで幕末まで営業を続けた三軒の茶屋が出揃うことになる。元禄年間(1688~1704年)、『武蔵風土記』には「元禄水帳に三軒家町の名があった」とあり、年代の矛盾が生じる。『武蔵風土記』の「三軒家町」とは南品川海雲寺門前のことらしい。となれば、海運寺の門前も三軒家町ということになる。

 度重なる江戸大火の延焼は品川までに及び、本陣や旅籠の経営にも大打撃を与えた。やがて白旅籠としての営業以外に飯盛女(食売女)を置くようになっていき、「北の吉原、南の品川」と呼ばれるようになっていった。

撮影場所:三軒家町

撮影地:品川区南品川三丁目6番50号(ガーデンホーム南品川 幕府御用宿「釜屋」跡)

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落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:寺島村大字寺島字前沼