【荏原 横町(横丁)】清水横町
横町(横丁)名:清水横町
読み方:しみずよこちょう Shimizu-yokochō
区分:横町(横丁)
成立:江戸期
廃止:不明
現町名:品川区北品川一丁目
概要:享保(1716~1736年)中期頃まで鳥屋文七が住んだことで「鳥屋横町」と呼ばれたが、後に「清水横町」と改称。『江戸名所図会』の『磯の清水』に「シミヅヨコ丁」とある。
「清水」とは「磯の清水」のことで、江戸時代、北品川宿畑地内に昔から「磯の清水」と呼ばれる名水の出る清水井があった。宿内の半数以上の家でこの井戸の水を飲料にしていた。干魃の折にも涸れることがなかったといい。清水井があった場所は鉄砲坂下だったということ。
台場完成後、ペリーから品川浦の使用許可の申し出があったが、幕府はそれを断った。その後、幕府は御船手組に代わる諸外国並みの海軍を創設する必要に迫られ、その根拠地を品川浦に定めた。その理由として、品川台場の外であったこと、それなりの水深があったこと、目黒川尻に至近であり、上陸が容易であったこと、そして良質の飲料水が確保出来る水の補給地があったこと。北品川宿と南品川猟師町には水屋があり、近世中頃(1871年)から停泊する船に磯の清水から汲んだ飲料水を運んで売る渡世人が3軒あった。明治から大正初期は東海寺の井戸が海軍の飲料水補給地となっていた。
撮影場所:清水横町
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