【南豊島】深町

町名:深町

読み方:ふかまち Fukamachi

区分:小字→町丁

起立:1810(文化7)~1828(文政11)年以前

廃止:1969(昭和44)年12月31日

冠称:1932(昭和7)年10月1日から「代々木」

現町名:渋谷区代々木五丁目、神山町、代々木神園町、神南二丁目、富ヶ谷一丁目他

概要:渋谷区の資料によると、『新編武蔵風土記稿』にあるということで、1810(文化7)~1828(文政11)年には既に存在していたことになる。「深町」は武蔵国豊島郡代々木村と中渋谷村の字として存在し、隣接していた。

明治初年に武蔵知県管轄地事所属。明治2年2月9日(1869年3月21日)、品川県豊島郡に所属。明治4年12月5日(1872年1月14日)、東京府豊島郡に所属。

1878(明治11)年11月2日、郡区町村編制法の施行により、豊島郡のうち12町25村の区域をもって南豊島郡が発足。1889(明治22)年5月1日、東京府南豊島郡代々木村と幡ヶ谷村が合併して成立した代々幡村、上渋谷村・中渋谷村・下渋谷村が合併して成立した渋谷村のそれぞれの内に、大字代々木の小字(1585~1736番地)、大字中渋谷の小字(784~824番地)として2つの「深町」は引き継がれた。1896(明治29)年4月1日、東京府豊多摩郡が成立した後も同様。

その後、1909(明治42)年1月1日に渋谷村が町制施行を行い、渋谷町となった際には変更はなかったが、1928(昭和3)年1月1日に行われた渋谷村の大字・小字の区域や名称・地番の変更を行った際に、大字中渋谷の小字「深町」は神山町、大向通、神南町に編入となり消滅。

一方、大字代々木の小字「深町」は、1915(大正4)年11月10日に代々幡村が町制施行を行い、代々幡町となったがその後も存続し、1932(昭和7)年10月1日、渋谷町・千駄ヶ谷町・代々幡町が合併し、東京市渋谷区が設置されると「代々木深町」として拡大した。

しかし、1963(昭和38)年7月1日に一部が神山町、富ヶ谷一丁目に、1969(昭和44)年1月1日に残余の一部が代々木五丁目に、1970(昭和45)年1月1日に残余が神南二丁目、代々木神園町に編入となり遂に消滅。

撮影場所:深町

撮影地:渋谷区富ヶ谷一丁目5番3号(渋谷区立代々木深町小公園)

深町


なお、僅かに江戸から外れた幡ヶ谷村村域に「下町」(したまち又はしたちょう若しくはしもまち或いはしもちょう)という小字があったので特別掲載

渋谷区の資料では、1889(明治22)年5月1日に東京府南豊島郡代々木村と幡ヶ谷村が合併して成立した代々幡村の内の大字幡ヶ谷の小字(1~93番地)として存在していたことが確認できる。1896(明治29)年4月1日に東京府豊多摩郡が成立した後も、1915(大正4)年11月10日に代々幡村が町制施行を行い、代々幡町となった後も存続。

しかし、1932(昭和7)年10月1日、渋谷町・千駄ヶ谷町・代々幡町が合併し、東京市渋谷区が設置される際、幡ヶ谷本町一・二丁目に編入となり消滅。現・渋谷区本町一丁目のうち。

撮影地:渋谷区本町一丁目6番6号(渋谷消防署代々木出張所)

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。