【北豊島】広町

町名:広町

読み方:ひろまち Hiromachi

区分:字

起立:江戸期

廃止:1932(昭和7)年9月30日

冠称:なし

現町名:荒川区西日暮里一、六丁目

概要:『大江戸今昔めぐり』、『東京府北豐島郡三河島村尾久村日暮里村』にある。武蔵国豊島郡新堀村のうちの字。

当地は、奈良時代(710(和銅3)~784(延暦3)・794(延暦13)年)は武蔵国豊島郡荒墓郷。江戸時代は峡田領。武蔵国豊島郡新堀村。「にっぽり」は正式には「新堀」と書いたが、享保年間(1716~1736年)、「日暮里」と表記しはじめた。それは「日がな過ごしても飽きない里」という意味であった。1749(寛延2)年には正式地名となったという説もあるが真偽は不明。

慶応4年6月19日(1868年8月7日)、武蔵知県事管轄地となる。明治元年11月5日(1868年12月18日)、東京府豊島郡新堀村に所属。

1878(明治11)年11月2日、発足した東京府北豊島郡に所属。その際に新堀村を「日暮里村」と正式に改称(こちらが正当かと思われる)。東京府北豊島郡日暮里村大字日暮里字広町。1889(明治22)年4月1日、谷中本村及び金杉村の一部と合併し、村域を拡げる。1913(大正2)年7月11日、町制施行し、日暮里町となる。東京府北豊島郡日暮里町大字日暮里字広町。

1932(昭和7)年10月1日、日暮里町は南千住町、三河島町、尾久町と合併し、発足の東京府東京市荒川区に編入となり、当地は日暮里町八丁目となり消滅。

撮影場所:広町

撮影地:荒川区西日暮里六丁目36番2号(サザンパレス西日暮里)

下谷真正寺町 広町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。