【浅草②】浅草六間町
町名:浅草六間町
読み方:あさくさろっけんちょう Asakusa-Rokkenchō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:不明
冠称:「浅草」
後身:浅草千束町二丁目
現町名:台東区浅草四丁目
概要:起立、廃止、由来等は一切不明。『江戸明治東京重ね地図』江戸版では「浅草六間町」とあり、町屋を意味する灰色で塗られており、その北東部のみは黄土色で塗り分けられている。また、『大江戸今昔めぐり』では「六軒町」とあり、その東北部はに「非人寄場跡(天保14年~嘉永6年)」とある。
なお、『 改正増補東亰區分新圖』(1879(明治12)年)には「六ケン丁」とあるが、『明治十二年東京全図』では「警視ト牛場」となっている。1877(明治10)年、東京各地に点在していた屠場がこの警視屠牛場(官営施設)に統合されることになった。しかし排水の便が悪い上、付近の水路や田畑に糞尿や血液等を含む排水が流されていたことに近隣住民が竹槍や筵旗等を武器に猛抗議した。1879(明治12)年、民間に払下げられ、1883(明治16)年に閉鎖された。その後、1936(昭和11)年に東京市営芝浦屠場に落ち着くまで、東京の屠場は各地を転々とすることになった。
撮影場所:浅草六間町
0コメント