【麹町②】番町
町名:番町
読み方:ばんちょう Banchō
区分:総称
起立:江戸期
廃止:存続
冠称:なし
現町名:千代田区一番町、二番町、三番町、四番町、五番町、六番町、富士見、九段南二・三・四丁目、九段北三・四丁目
概要:江戸期からの汎称地名。「四谷御門、市谷御門、牛込御門の間、御外曲輪内を云、此内御旗本衆やしき也。一番町より六番町に至り、うらおもてと入組、むつかしき屋敷町」(砂子)で、表、裏、新道等があって判りにくい町であったことから「番町にいて番町知らず」の諺や「番町で目あき目くらに道を聞き」の川柳を生んだ。
町名の由来は「元和・寛永の比大御番の屋舗」(旧事茗話)が与えられたため。江戸期の番町は、堀端一番町(御堀端一番町)、新道一番町、一番町通り、表二番町、裏二番町、袋二番町、二番町通り、三番町、四番町、裏四番町、土手四番町、五番町、表六番町、裏六番町、新道、六番町通り(備考)があった。明治期以降は合併・編入・改変を繰り返し、現在「〇番町」という名の町は、一番町、二番町、三番町、四番町、五番町、六番町までに整理された。
江戸期は主に旗本の集住する武家地。昭和20年までは華族をはじめ、官僚や富商の邸宅の多い屋敷町で、戦後以降も都心有数の高級住宅地である。岡本綺堂で有名な『番町皿屋敷』の伝承地については、『新編江戸志』は麹町三軒屋、吉田屋敷といった所で、牛込御門の傍らに皿明神があったといい、『砂子』は「牛込御門の内むかし物語」、『積翠閑話』は「江戸番町の辺にや」とのみあり、菊岡沾涼は出雲松江、播州赤穂にもある皿砕きの幽霊に付会した説といっている(諸国里人談)。
撮影場所:番町(新道一番町、後の一番町。現在の三番町)
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