【神田①025】神田仲町
町番号:神田①025
町名:神田仲町 一・二丁目
読み方:かんだなかちょう Kanda-Nakachō
区分:町丁
起立:1731(享保16)年
廃止:1964(昭和39)年11月30日
冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「神田」
現町名:千代田区外神田一丁目10・11、13番・14番北東
概要:江戸期には一~三丁目があった。1649(慶安2)年から1723(享保8)年まで陸奥白河藩本多氏、1725(享保10)年まで水野隼人正の屋敷だったが収公され、小石川養生所付請負町屋となった。1729(享保14)年、請負を廃されて「筋違橋外新地」といわれたが、間もなく「御用屋敷」と改められた。1731(享保16)年、拝領町屋敷となり、「神田仲町」と呼ばれた。町名は御成道への道と筋違橋御門との中間の町という意(備考・東京地理志料)。化政期(1804~1830年)の家数639軒(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)~1871(明治4)年、三丁目を神田花田町に編入し、一・二丁目となる。1872(明治5)年の戸数176・人口800、物産に革鼻緒・下駄があった(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府神田区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市神田区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都神田区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都千代田区に所属。
1964(昭和39)年12月1日、住居表示の実施により、外神田一丁目に編入となり消滅。
撮影場所:神田仲町一丁目
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