【神田①035】神田餌鳥町
町番号:神田①035
町名:神田餌鳥町
読み方:かんだえとりまち Kanda-Etorimachi
区分:町丁
起立:1869(明治2)年
廃止:1966(昭和41)年12月31日
冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「神田」。浅草区に編入した部分は1947(昭和22)年3月15日から1963(昭和38)年12月31日まで「浅草」
現町名:台東区浅草橋四丁目5・6番地、千代田区東神田三丁目8番西側、2番北側
概要:前身は幕府鷹餌鳥請負人の餌鳥屋敷(「餌取屋敷」とも書いた)。南部を俗に「籾蔵前」といった(案内)。1718(享保3)年までは神田八名川町だったが、同年の火災で収公。1727(享保12)年には町奉行支配の幕府の鷹餌鳥請負人の拝領屋敷となり、「神田餌鳥屋敷」と称した(備考)。この鷹餌鳥請負人は幕府餌差方の仕事を代行したもので、1851(嘉永4)年から万延年間(1860~1861年)にかけて、年平均43万8000羽の雀が雑司ヶ谷と千駄ヶ谷にあった鷹部屋に納められた(町奉行所旧記・東京地理志料)。
前身の神田餌鳥屋敷として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、「神田餌鳥町」と改称して起立。1872(明治5)年の戸数40・人口164(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府神田区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市神田区に所属。1933(昭和8)年9月15日、帝都復興計画の一環により、大部分が浅草区に編入され、そこは「浅草餌鳥町」となる。残余は1943(昭和18)年7月1日、東京都神田区に所属。1947(昭和22)年3月15日、それぞれ東京都台東区・千代田区に所属。
浅草餌鳥町は1964(昭和39)年1月1日、住居表示の実施により浅草橋四丁目に編入となり消滅。千代田区内の残余である神田餌鳥町についても1967(昭和42)年1月1日、同じく住居表示の実施により東神田三丁目に編入となり消滅。
撮影場所:神田餌鳥町
参考:1943(昭和18)年9月15日以降も神田に残った餌鳥町は、千代田区東神田三丁目2番北側、総武線の高架下の現・千代田区東神田三丁目8番西側のみ
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