【神田①057】神田台所町
町番号:神田①057
町名:神田台所町
読み方:かんだだいどころまち Kanda-Daidokoromachi
区分:町丁
起立:1869(明治2)年
廃止:1964(昭和39)年11月30日
冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「神田」
現町名:千代田区外神田二丁目5~9番
概要:豊島郡峡田領芝崎村のうち。神田明神の東側にあった町屋。1657(明暦3)年までは日蓮宗妙祐山幸龍寺と曹洞宗泰平山万隆寺領だったが、大火後、寺は浅草田圃に移転。その跡が台所、賄方組屋敷、武家地となった。1672(寛文12)年、町方支配となり、「神田明神下御台所町」と名乗る。俗に「明神下」といった。町内には、足袋屋、呉服屋、小間物屋があった(買物独案内)。
前身の神田明神下御台所町として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、西側の神田明神下御賄手代屋敷を合併、「神田台所町」と改称。1872(明治5)年の戸数198・人口834、物産に練油、鋳物があった(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府神田区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市神田区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都神田区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都千代田区に所属。
1964(昭和39)年12月1日、住居表示の実施により、外神田二丁目に編入となり消滅。
※千代田区のサイトの「新旧町名対照表(住居表示実施地域)」のサイトには「ちょう」と読むようにあるが、「神田明神下御台所町」時代は「町」と読んだのでそのまま「まち」であろうと思われる。また、千代田区の設置する町名由来板やそれを載せるサイトの当該ページに「時代が下って明治二年(1869年)には、神田明神下御賄手代屋敷(かんだみょうじんしたおまかないてだいやしき)を合併し、神田御台所町(かんだおだいどころまち)と呼ばれるようになりました」とあるので、やはり「まち」と読むのが正しいかと思われる。ただし、1869(明治2)年の町名改正は、「神田明神下御台所町」から「神田台所町」になったのであって、「御」の文字は明治政府によって外されたはずである。
撮影場所:神田台所町
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