【神田①056】神田同朋町
町番号:神田①056
町名:神田同朋町
読み方:かんだどうぼうちょう Kanda-Dōbōchō
区分:町丁
起立:1869(明治2)年
廃止:1964(昭和39)年11月30日
冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「神田」
現町名:千代田区外神田二丁目10~15番、六丁目1~3番
概要:嘗ては豊島郡峡田領芝崎村のうちと伝える。神田明神社の東側にあった町で、一帯を俗に「明神下」といった。正保年中(1645~1648年)は万徳寺、高岩寺、雲仙寺等があった(東京地理志料)が、1657(明暦3)年の大火後は引地となり、1658(明暦4)年、同朋衆に与えられ、山口栄立、竹内裕二等、御坊主方の拝領地となった。1672(寛文12)年、町屋が許可され、御同朋町と称し、町方支配となる(備考)(『千代田区町名由来版』では、「町内に商人や職人が住む町屋もできた」のたが1670(寛文10)年とある)。化政期(1804~1830年)の家数は135軒、他に19の拝領屋敷があった(町方書上)。その後、「神田明神下同朋町」へと改称(時期不明)。
前身の神田明神下同朋町として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、「神田同朋町」と改称。1872(明治5)年の戸数154・人口678(府志料)。物産に文箱があった(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府神田区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市神田区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都神田区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都千代田区に所属。
1964(昭和39)年12月1日、住居表示の実施により、外神田二、六丁目のそれぞれに編入となり消滅。
撮影場所:神田同朋町
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