【神田①066】三崎町
町番号:神田①066
町名:三崎町 一~三丁目
読み方:みさきちょう Misakichō
区分:町丁
起立:1872(明治5)年
廃止:存続
冠称:1947(昭和22)年3月15日から1967(昭和42)年3月31日までと2018(平成30)年1月1日から「神田」
現町名:千代田区神田三崎町一~三丁目
概要:町名は中世に「三崎村」と称していたという伝承に因む。「三崎」の原義は「岬」という(画報)。当地が日比谷入江に突き出た土地の端にあったためだという。
1859(安政6)年まで讃岐高松藩松平氏中屋敷と久須美・菅原等10氏の武家地だったが、収公され講武所御用屋敷となった。
1872(明治5)年、講武所御用屋敷と周辺武家地を併せて、三崎町一~三丁目成立。同年の戸数60・人口244(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府神田区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市神田区に所属。町内の三崎稲荷社は江戸期には松平氏中屋敷にあった。社伝では建久年間(1190~1198年)の創建といい、天文年間(1532~1555年)に北条氏綱により再建されたもので、祠官は歴代和田氏が務めた。維新後、講武所跡は練兵所となったが、1890(明治23)年に三菱合資会社に払い下げられた。明治30年代の町内には、東京座、三崎座、川上座の「三崎三座」と呼ばれた芝居小屋と神田パノラマ館を中心とする歓楽街があった。その他、大成中学校、国語伝習所、日本法律学校、三崎町幼稚園、東洋学芸社、労働新聞社、東京教育社、日本医療院、天真堂医院(東京牛痘館を併設)、労働組合期成会、他に木材、石材を扱う店が多かった(画報)。
1933(昭和8)年、帝都復興計画の一環により、三丁目の一部は飯田町一・二丁目となり、残余は1934(昭和9)年、三崎河岸と駿河台鈴木町の一部を合併し一・二丁目とする。1943(昭和18)年7月1日、東京都神田区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都千代田区に所属。
1967(昭和42)年4月1日、住居表示の実施により、神田三崎町一丁目と神田駿河台二丁目のそれぞれ一部が一丁目に、神田三崎町一丁目と神田三崎町二丁目のそれぞれ一部が二丁目に、神田三崎町二丁目の残余が三丁目に再編。
2018(平成30)年1月1日から「神田三崎町」と再び冠称が付いた。旧神田区ということで「神田」を付す動きになったのだろうが、当町は三崎村であって神田の内ではない。
撮影場所:三崎町二丁目
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