【神田①072】美土代町

町番号:神田①072

町名:美土代町 一~四丁目

読み方:みとしろちょう Mitoshirochō

区分:町丁

起立:1872(明治5)年

廃止:存続

冠称:1947(昭和22)年3月15日から「神田」

現町名:千代田区神田美土代町、神田小川町一丁目、内神田一丁目

概要:江戸期、この地域一帯は、身分の高い武士の屋敷が建ち並んでいた。特に元禄年間(1688~1704年)には、五代将軍徳川綱吉の側近として活躍した柳沢吉保が屋敷を構えていた。その他、老中や若年寄を輩出した由緒正しい武家の屋敷が軒を連ねていた。湯女のいる「丹前風呂」もここが発祥。

1872(明治5)年、起立。新三河町を一丁目に、本多伯耆守等の武家地を二丁目に、三河町三丁目裏町三河町四丁目裏町を合併した地域を三丁目に、四軒町を四丁目とした。「美土代」とは、嘗てこの周辺に伊勢神宮に捧げるための稲(初穂)を育てる水田「みとしろ」があった故事が由来。「神田」とは同義。同年の戸数419・人口1,614(府志料)。四丁目には江戸期に堀丹後守直守の屋敷があり、「丹後殿前」の俗称があった。屋敷の前に風呂屋があり、「丹前風呂」といわれた。所謂、「丹前」の発祥地である。『好色一代男』に「丹前風呂と申すは江戸にて丹後殿前に風呂ありし時、絹山といえる女すぐれて情もふかく、髪かたちとりなり」とある。

1878(明治11)年11月2日、東京府神田区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市神田区に所属。

帝都復興計画の一環により、1933(昭和8)年に四丁目大部分を小川町一丁目に編入、1935(昭和10)年には丁目を廃止。1943(昭和18)年7月1日、東京都神田区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都千代田区に所属。

1966(昭和41)年4月1日、住居表示の実施により、旧一、二丁目が内神田に編入となるが、残余は未実施のまま現在に至る。

撮影場所:美土代町二丁目

撮影地:千代田区内神田一丁目14番(中華居酒屋萬福酒家神田店裏)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。